発生から3年となる昨日は、
お仕事で東京へ行っていた。
発生のその時刻は、まさにお仕事真っ最中。
仕事を終えて出た街は、
え?と思うほど普通に賑わっていた。
でも、その時間には、
あちこちで黙祷がアナウンスされたと聞いた。
東京駅地下で、東北三県の物産を大学生が販売していて、
各県ひと品ずつ買った。
そして、あの日と、
それから約1年半後に訪ねた宮城を思い返した。
あのときの衝撃は今も鮮明、というか、より深く重くなっている。
またゆっくり書こう…。
ただ、昨日東京で思ったこと。
3・11直後の東京周辺を見て、いつも通りに動いている人たちに違和感を持ち、映画を撮ったという、映画監督の言葉を思い出した。
海外在住の日本人監督。
その言葉に、私は違和感を持ったし、今もそのままだ。
じゃあ、どうしたらよかったの?どうしてたら、あなたは納得したの?
震災発生からしばらくは、私も遠く離れた岡山だからって、ぬくぬくと暖房の効いた部屋で過ごし、お風呂に入り、食事をすることだって、被災地の方に申し訳ないような気持ちだった。外食なんてもってのほか、という気持ちだった。
でも、しばらく経って、思い直した。
それが、果たしていいことなのか?心苦しさを紛らわそうとしているだけの自己満足じゃないのか?
しっかりいつも通りに生活して、ほんのわずかであっても経済を回すことが、復興の一端となるのではないか?それでも心が痛む分は、例えば外食など、自分の楽しみに使ったお金の何割かでも、その都度募金するとかすればいいじゃないか。
それを自分の生活の中に加えつつ、いつも通り、いや、それ以上に日常を頑張ろう。被災地の方の分も日常を頑張れば、被災地に何かできるはず。
そう思い直した。
ましてや、日本の経済の中枢である東京。
いつも通りに動く人たちは、自分たちが止まってしまっては日本が止まってしまう。それでは被災地は止まったままになってしまう。自分にできることはいつも通りに動くことだと、心の中に苦しみを抱いたまま、責任感を原動力に動いていたのではないか?
東京だって被災地なのだし。
監督に直接聞ける機会もあったのに、ちゃんと尋ねなかった自分を、今も悔いている。
そして、今日は、長野で大地震が起きて3年。
忘れないように。
石巻から仙台へ戻るバスの中、「私には、何の技術もない。何もできない。」と言った私に、年配の男性がかけてくださった言葉。「何もしてくれなくてもいい。ただ覚えていてほしい。」涙声でした。
忘れません。